Ambivalent and Vague

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Fog Up 1

倖せが迷う森

 
 ───ピチャン。
「どうすればいいんだろう…」
 香は入浴しながら呟く。浴槽で揺れる水面を見ながら、香はその波紋のように心が波立つのを感じていた。
 先日、ついに香は撩と一線を越えた。二人の間に何か大きな出来事があったわけではない。いつものようにリビングでコーヒーを飲んでいたら目が合い、離せなくなり、そしてどちらからともなく近づいた。二人のコーヒーはテーブルに置かれ、再び飲まれることはなかった。
 自室のベッドにそっと香を下ろした撩は、初めて間近に見る白い柔肌をじっと見つめていた。ラブホテルのように制限時間があるわけではないこの部屋で、今からその身体を貪り続けることを許される、この幸福。無理に入り込まなくても、撩は香の身体をその身で感じられるだけで満足していた。彼女がこれから受ける衝撃を思えば、本能を理性で誤魔化すことくらい苦ではない。それぐらい、撩は最初の夜に気を遣った。
 そして翌日から、撩は毎夜のごとく飲みに出掛けては戻らなかった。
「あの男が、私なんて、ね」
 女性を見ては声を掛ける男、そして実はどんな女性をも惹き付ける魅力を持った男が、自分のような何も知らず魅力のない女を好むはずはない、と香は考え始めていた。初めての夜は必要以上に気を遣わせ、そして我慢させたようだ。その証拠に、翌日から撩と香は夜を共にしていない。夕食までは一緒にいるが、その後は「もっこりちゃんが待っているからぁ」と言って繁華街の光へと消えていった。
 どうして、撩は自分を抱いたのだろうか?と香は思う。一度あの熱を知ってしまえば、少なくとも身体は次を強請ってしまう。それなのに突き放されてしまっては、自分は撩を満たすことが出来ずに選択外になった、としか考えられない。そもそも、経験値も何もかもが大きく違う二人が関係を持つこと自体がおかしいし、むしろ本当はこういう関係になってはいけなかったのだろう。抱かれたからといって何も変わらない自分は、撩にとってはつまらない存在に映ったはずだ。香にとっては嬉しかった身体の痛みも、次の日からは心の痛みがもたらされ、もう耐えられない。
 香の考えは、どんどん泥沼に嵌っていく。
「ばっかみたい…」
 知らずと零れて頬を伝った涙は、水面にまた波紋を広げた。





 数日後、香は街中で同居人の姿を見つけた。そこは有名ブランド店の前で、グラマラスなボディを強調した女性と一緒に歩いているところだった。太く逞しい腕には、ブランド店の袋と彼女の腕。撩がよく行く店の女性だということはわかるも、だからといってハンマーを使う気力は香の中にはない。その場から走り去った香は、どうやってもその光景を忘れることが出来なかった。
 走り去った香を見て、撩は「しまった」と思った。香にプレゼントしようと思ってアクセサリーを買おうと思うも、一人で店内に入るのは至難の業だった。そこで、最近行きつけの店でお気に入りの奈々に頼んで一緒に行ってもらっていたのだ。「これも人気ですよ」と奈々は教えてくれるが、そこはきちんと自分の感性だけで選んでやりたい。いくら香でも、他の女が選択に関わったプレゼントだと知ったら、それこそ怒って受け取ってもらえないだろう。奈々のアドバイスをうまくかわしながら、撩はようやく一つのアクセサリーを選んだ。
 これを渡したとき、香はどんな顔をするのだろうか。それこそ恥ずかしくて顔を赤くするのだろうか、嬉しくて涙するのだろうか、それとも満面の笑みを浮かべてくれるのだろうか。そんな未来を思ってどこか気持ちが温かくなっていたところに、この状況だった。
 撩がどんな言い訳も出来るはずはなく、気が重くなり、身体まで重くなったような状態で帰宅した。


「ああいう人だよね、本当は…」
 このままでは包丁で指を切ってしまいそうだった香は、時間が経っても消えない光景を諦め、夕ご飯の準備を一旦止めてため息をついた。撩とその女性は一緒にいるのが自然だったし、とてもお似合いの二人だったと香は思う。声を掛けて二人の世界を壊してはいけないと思うぐらい、香は自分一人が部外者のように感じていた。
 ふと、玄関で音がする。どうやら同居人が帰ってきたようだった。香は気合いを入れ直し、夕食の準備を再開した。すると、
「ただいま」
と言って撩が台所に入ってきた。その手にはブランド店の袋が見え隠れしており、「今日の夜にでも、彼女にあげるのかしら?」と香は思っていた。
「あら、おかえりなさい」
「おう」
 撩はそのまま何も言おうとしない。沈黙に耐えられなかった香はシンクへ向き直り、食材を切り分けていく。
 沈黙に耐えられなかったのは、撩も同じだった。しかし、何を言えば状況が改善するのか、さっぱりわからない。手持ち無沙汰になり、持っていた袋をブラブラさせていると、誤って床に落としてしまった。床を滑った袋は、香の足下の近くで止まる。香は作業をまた止めて、エプロンで手を拭いて袋を拾い上げた。こんな素敵なお店のアクセサリーを撩からもらえる女性は幸せだなと思いながら、見えないはずの中身と渡されるはずの女性を思い描いた。香が拾ったのをチャンスだと思った撩は、
「それさ」
と言った。夕食準備中の台所で渡すなんて、ロマンチックなムードも何もない。だが、今は香に渡すことが優先であって、シチュエーションは二の次だ。「おまえのだ」と言えば、わかってくれるはず。そう思って言葉を続けようとした撩より先に、香が言葉を発した。
「なぁに? 誰かお気に入りの女の子にあげるんでしょう?」
 誤解されても仕方ない状況だったのはわかるも、こうもはっきり言われてしまうと、どうしてこっちの気持ちもわからないのだと責めたくなってしまう。お門違いだと思いながらも、撩は少しイライラしていた。香にはその時の撩が怪訝な顔をしているように見え、
「ちゃんと持ってなきゃダメだよ、角が折れた袋なんて、見た目が悪くなっちゃうよ」
と言って袋を撩に渡した。撩はゆっくりと袋を受け取り、何も言わないまま立ち去っていった。
 自室に戻った撩は、その袋を壁に向かって投げつけていた。


 ───カラン。
「撩ちゃん、飲み過ぎだよ」
 カウンター越しに店のマスターが声を掛けた。自分は酔ってはいないし、むしろ酔えればどんなに楽なのだろうと撩は思っていた。二人が身体を重ねた翌日から、撩はこのバーで夜を過ごすことがほとんどだ。今さら繁華街で騒ごうとは思わない、だがアパートに居づらいのも事実だった。そんな撩をマスターは何も言わず、一人きりになる時間を作ってくれていた。今もそうだ、マスターは店の奥に消えて、店内には撩とウォッカのロックだけが残っている。
 それがどれだけ愛する行為だったとしても、香の身体を傷つけたことには変わりがない。だから撩は、すぐにまた香を抱くことを自分に許可することができなかった。だが、知ってしまった果実は撩の頭を支配し、脳裏に浮かぶぎこちない痴態が撩の身体を熱くさせていく。次は理性などどちらの味方にもならない予感が頭をよぎり、もう優しくしてやれない自分がいるのがわかったのだ。目の前に獲物がいれば食らいつく、その習性から香を守るために、撩は飲みと称して夜の街に足を運んでしまっていた。それはいわゆる逃避で、香が浮かない表情をしていると気付いていてもどうにもならなかった。
 明け方、まだ香が眠っているであろう時間を狙ってアパートに戻る。毛布に丸まりながら待っている姿がリビングに見られなくなったとき、撩は身体の奥が痛んだことを今も覚えている。それはもしかしたら、心が痛んだ、というものかもしれない。それでも撩は、その感覚を持ち続けて耐えることが出来ず、さらなる逃避を選んでいた。結果、香との距離はどんどんと開いていく。
 どうにかして、二人の間の距離を飛び越えたい、立ちふさがる壁を壊したいと撩が思うときがある。そう思って声を掛けようとしても、何と言ったらいいのかがわからないし、今までの天の邪鬼な自分が邪魔をしてしまう。香は何か感じるのか、撩の言葉に微笑むだけで、言葉が少なくなってきてしまっていた。これ以上何かをしては、さらに二人は悪循環になるだけだ。
「だったら、抱かなければよかったのかよ…」
 再び静寂となる前に、ウォッカの氷だけがその呟きを聞いていた。そして、訪れたその静寂に押しつぶされそうになった撩は、堪え忍ぶように身体に力を入れた。右手にあったグラスは砕け散り、広がったウォッカにはところどころ赤が滲んでいた。





 ふと、香は目を開ける。
 痛いほどの光が奪っていた視界が戻ると、そこは見たことのない森だった。緑深い森は、その中に入ってしまえば、たちどころにその存在を緑の中に溶かし込んでいくようだ。あたりを見ても、既に入口はわからない。方角もわからないままで、香は緑の中を歩き続けた。あたりは次第に霧が立ちこめ、香はさらに何も見えない空間に閉じ込められていった。
 まだ昼間だというのに、森の中は深く暗い緑で覆われ、さらにその閉鎖性を薄い霧が助長している。
 どこに向かっているのかなど考えず、ただひたすら香は歩き続けていた。足は疲れていたが、ここで歩みを止めれば自分の身体はバラバラになって崩れ落ちてしまうのだろう。それだけはなぜかわかっていた。目的地も何もわからない、地図もコンパスさえもない。自分が今どこにいるのかなど、もはや意味のないことだった。そんな自分を包む霧はだんだんと濃くなり、自分が地面を踏みしめているのかすら怪しくなってきた。雲の中を歩くように、どこかできっと足下をすくわれて落ちてしまうだろう自分を守るため、香は疲れている身体に鞭打って走り出すしかなかった。
 そんな香の前方には、大きな木から垂れ下がっている植物がその行く手を阻んでいた。止まるわけにはいかない、とその手を植物に伸ばしたとき、何かが香の手を捕らえて動きを止めた。代わりにその右手が植物に触れ、ジュッと音を立てて皮膚を焼いた臭いがする。
「それには毒がある。触るな」
 香の動きを阻んだ人物、その声にどこか聞き覚えがあった。
「この先も毒のあるやつばかりだ。戻るぞ」
 落ち着く間もなくぐるりと見渡せば、同じように毒性を持つ植物が広がっている。ここから先にはもう進めないことはわかっているのに、足が動かない。
「戻るんだ」
 香は理由もなく、その声に抗いたくなる。いや、理由があっても、もうどうにもならない。
「や、だ…」
「香?」
 その人物の側にいてはいけない。その手を自分が取れるはずがない。
「どうしていけないの?」
 このまま森と霧に飲み込まれてしまえば…。
「これで、私もあなたも楽になれるのに」
 男は香の手を離さず、そのまま尋ねてきた。
「離れたいのか?」
「わからない…」
 香は本当にわからなかった。この霧に真実も何もかもが隠されていくように、自分の思考すらも遠くに霞んでいく。自分が言葉を口から零した途端に、言葉は熱を失っていくのがわかった。
「本当はどうしたい?」
「わからないの、自分でも! どうしたいのかなんて…」
 答えの出せない問いが続き、香は叫んだ。それでも声はすぐに冷えて静寂へと落ちていく。
 今の自分が何をしたいのかなど、香は本当にわからなかった。離れたいのに離れたくない、そんな相反する想いが香の中でせめぎ合い、今にも思考回路が止まりそうだった。
「まずは帰ろう、ほら」
 男は反対の手を香に差し伸べ、香を促そうとした。それでも動かない香に、男は言葉をかけた。それを聞いた香は驚きの表情を見せる。男へと手を伸ばそうとして、そして躊躇う。突き放しては引き寄せる、それは男の常套手段だったからだ。しかし、男が見せる真剣な表情に、香はついにその手を取った。





 帰宅した明け方、撩は自室には戻らずに香の部屋の前にいた。その気配に安堵して立ち去ろうとしたその時、中から呻き声が聞こえてきた。何事かと思った撩は、そっと部屋の扉を開ける。ぼんやりと視界に浮かぶ香は、何かに魘されるかのように呟いていた。
「わからない……どうしたいのかなんて……」
 その言葉だけで、香が何を夢見ているのか、撩には想像することが出来た。
 こうなったのは他の誰でもない、自分勝手な逃避を繰り返していた自分のせいだと撩は思う。
 撩が香に言葉を掛ける。真剣な表情で香を見つめ続けると、香はゆっくりを目を開いた。意識が浮上した香の目に入ったのは、どこか安堵したような撩の笑顔だった。そんな撩に香がうっすらと笑みを浮かべ、今すぐ触れたいとばかりに撩は右手を伸ばした。布団から出した手で香が撩の右手を掴むと、そこには傷が浮かんでいた。不思議な右手の傷に頬を寄せ、香は再び眠りに落ちていく。
 その様子を見た撩は、
「俺はここにいる。もう、逃げないから」
と同じ言葉を掛け、まるで誓いを残すように、香の手に優しく口づけを落とした。
「おやすみ」
 そう言った撩の顔は、何かを決断した男の表情だった。

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Author:うーたん
好き勝手に書き散らかしておりまする。書いたお話は、まるで千歳飴(どこ切っても同じ)。タニシのようにひっそりと生息中。

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