Ambivalent and Vague

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Anemone 2

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あなたは知らない

 
「ただいまぁ」
 伝言板確認の帰り、買い物を終えて香が帰宅した。スーパーの袋には、大量の食材が詰め込まれている。そのまま台所へ直行し、急いで仕分け作業だ。手際よく食材を分別していると、「よぉ」と撩が入ってきた。
「あら、珍しいのね。こんな時間にいるなんて」
「そうでもないだろ。やることあったし」
 香の胸がドキリとする。視界が渦を巻く。なぜかはわからない。
「へぇ、仕事?」
「ん、まぁな」
 胸を押さえられるような圧迫感は、さらに強くなる。やはり、なぜかはわからない。
 これ以上、こんな空気の中にいたら、香が参ってしまいそうだった。撩と一緒にいるのは嬉しいはずなのに、今だけはそう思えない。
「そう。じゃ、これしまったらコーヒーでも淹れてあげるから、リビングとかで待っててよ」
「あぁ、頼むわ」
 やっと撩が出て行ったのを見て、香はほっと胸を撫で下ろす。ぐにゃりと歪んでいたキッチンも元通りだ。胸の前に手を重ねて確かめれば、先ほどの圧迫感はすでになかった。


 取るに足りない会話だったはずだ。それなのに、香の体は過敏にも反応した。その理由がわからないから、今は原因を遠ざけるしかない。
「なんなんだろう…」
 そう思いながら、キッチン上の戸棚からコーヒーミルを取り出す。数種類あるコーヒー豆の中から、香りで今日使う分を選んだ。香りは体の隅々にまで染み渡り、香をドリップへと集中させた。


 言われるまま、リビングへ移動した撩は、キッチンでの出来事をひとつずつ思い出す。いつものやりとりには、若干の空白が生まれていた。機能停止をするように、香が反応しない。一瞬のことだが、目も虚ろになり、心はそこになかった。
 香の様子に変化が見られるようになったのは、やはり先日の依頼からだった。犯人にかけられた催眠術はたいしたことがなかったものの、他に影響があるかどうかは経過観察である。美樹にはそう告げられていた。
 今は一日に何回もあることではなく、あっても一瞬のことだ。そこまで心配することはないのかもしれない。ただ、この先の変化がわからず、撩としても放ってはおけない事態である。
「そもそもあんなことがなきゃ、こんな心配もしなかったんだが…」
 ソファにだらりと身を預けながら、撩は静かに呟いた。





 その後請けた依頼時には、このような変化は見られなかった。撩がどんなに美しい依頼人へ迫ろうが、即座にハンマーによる制裁が加えられた。そのタイミングはいつもの香で、そこに空白などはなかった。
 だが、依頼のない日々に戻ると、何らかの刺激が香を空白へと誘う。回数がだんだんと増え、撩としてはこのまま見過ごすわけにはいかなくなってきた。話を切り出すタイミングは難しいが、だからといって話さないわけにはいかない。


 ある日の夜、二人はいつものように、面と向かって食べていた。撩は大量の食事を平らげ、その様子に香は、「よく食べるわよね」と呆れるように言っていた。
「ま、残さないで食べてくれるだけ、いいけどね」
「目の前にこれしかねぇんだ。食べるしかないだろ」
「なにそれ。他に食事があれば、そっちにするってこと?」
「ぐふふ。本当に必要なのは、美女からのお食事だもん、ボクちん」
 香の体がピクッと動く。そして、そこからは動かない。目は急速に光を失い、もはや撩を見ていない。
 彼女の変化に、撩はすぐ気が付いた。
「香?」
「なら、いらないわね。理由がないのなら、存在する意味もない」
 その目のまま、香は口を開いた。温かみのあるいつもの声ではなく、他者を拒絶するような、冷たい声色だった。しかも、詳細がつかみにくい言い方だ。それでも、単に食事のことを言っているわけではないことは、撩にもわかった。
 目の前の香から殺気は感じない。しかし、魅惑的に微笑んだ口元の上には、どこまでも冷たく刺すように変わった瞳があった。これは、香ではない。
「…おまえは誰だ?」
 つい、撩の表情が厳しくなる。
「あたしはわたし…」
 そう言うと、まるで電気がバチンと弾けたように、香は目をぎゅっと瞑った。再び目を開けたとき、瞳には優しさと強さ、そして奥底に不安を隠していた。いつもの香が戻ってきた、撩はそう思った。それでも確かめたくて、つい撩は真剣な声色になってしまう。
「香…」
「え? ど、どうしたの? そんな真剣な顔しちゃって」
「おまえ、覚えてないのか?」
「覚えてないって、何がよ。ちょっとボーっとしてただけじゃない。はいはい、残さないだけありがたいわよ!」
 それだけは感謝しておこうかしら、と付け加えて、香はご飯の残りに集中していた。


 今の香に、何か変わった様子はない。あのやりとりだけは、香ではなかった。あの冷たい雰囲気は、裏世界に君臨する撩でも、まれだと思えるほどだった。今まで、香のあんな表情を見たことがない。
 いや、正しくは見たことがあるのだ、一日だけ。
 あの一日に見せた姿を思い出しても、目の前にいる香には全く重ならない。それでも、撩の勘は赤信号を点していた。





 その日以降、撩ですら把握できない香の時間が目立つようになった。海坊主の情報網も加えてみても、結果は同じだった。
 今、キャッツアイには撩と美樹の二人だけだ。海坊主は用があると言って、席を外していた。入店時には美樹に不倫を要望していた撩も、香のことを出されると、その雰囲気を続けるわけにはいかない。美樹も事態がいかほどかを理解していても、今のところ打つ手がない自分が情けなかった。
 撩は冴えない表情をして、カウンター端にあったトランプを手に取った。座ってトランプを箱から出し、素早くカードを切っていく。特に何かをするわけではない、単純作業が心を落ち着けるからだった。それも苦痛になり、今度はトランプでピラミッドを作り出した。


 カウベルを軽やかに響かせて、誰かが入ってきた。
「こんにちはぁ! あれ、美樹さんと冴羽さん。なんか、店内が暗いんですけど」
 二人の雰囲気をそう評したのは、キャッツアイでアルバイトをしているかすみだ。
「どうしたんですかぁ? あ、冴羽さん、また香さんに怒られたんでしょ」
「なんで、俺が香に怒られにゃならんの」
「だって、さっき見た香さん、怒っているように見えたんですもの。声をかけようかと思ったけど、いつの間にかいなくなっていて」
「それ、いつ? どこで?」
 苦笑いしていた撩が、真顔になってかすみに質問した。
「うーん、科目履修で行った大学から新宿まで歩いてきたから、その間ですね」
 かすみから説明を受けると、撩は眉をひそめた。普段ならば、そこは活動エリアではない。撩のツケを払うにしても、そこに対象となる店舗はない。
「で、香が怒っているように見えたって?」
「そうなんですよ。いつもの香さんじゃなくて。なんだろ、突き放す感じで。ちょっと声をかけづらかったんですよね」
 撩の表情がさらに厳しくなる。撩の脳裏に浮かぶのは、キッチンで相対した香の姿だ。撩を見ていた美樹も状況を察して俯き、考え込んだ。


「あの、美樹さん、冴羽さん?」
 わけがわからないといった表情で、かすみは二人を見ていた。自分はただ事実と感想を口にしただけなのに、こんなに悩ませることだったのだろうかと、かすみにまで困惑が伝染するようだった。
 ふと、美樹が何かを思いついたように顔を上げる。そして、かすみを見た。
「冴羽さん、かすみちゃんに頼んでみましょうよ」
「かすみちゃんに?」
 撩としては、今回の件をあまり広めたくはない。だが、そうは言っていられない状況にあることも理解していた。
「かすみちゃん、以前も冴羽さんに気づかれないよう、尾行に成功していたんでしょう?」
「あぁ、そんなことがありましたねぇ」
 美樹が言っているのは、牧原こずえの依頼でのことだ。夕刻、光るシグナルが見えると出かける撩を怪しんで、香は尾行しようとした。しかし、香の気配をたやすく察知する撩にとって、香を撒くことは簡単だった。そこで香が依頼したのが、かすみだった。かすみは見事気づかれず、撩の目的地を明らかにした。
「だが、かすみちゃんも忙しいだろ」
「大丈夫ですよぉ。もう大学も夏休み期間ですからね」
「かすみちゃん、ちょっと今はわけを言えないの。でも、香さんがそんな様子でどこに行っているのか、調べてくれない?」
 信頼する美樹の頼みだ、かすみに断る理由はない。撩からも「頼む」と声を掛けられれば、これはやるしかなかった。かすみは両手で握りこぶしを作って、一人気合を入れるように脇を引き締めた。
「わかりました、やってみます。ただ…」
「なんだい、かすみちゃん」
 かすみが撩に向き合うと、一呼吸の後に話し出した。
「あの、言えるときになったらでいいんです。今回のこと、教えてもらえれば」
「あぁ、わかった。ちゃんと言うよ」
 理由を言わずに頼み込む。それはかすみを半分、蚊帳の外に置いているようなものだ。それでも引き受けたのは、二人の様子を見たかすみが、自分が引き受けるべきだと判断してくれたからだ。責めるでもなく、当然の要望として伝えたかすみに、撩も美樹も頷いた。





 香を尾行して三回目、ついに香がいつもとは違う行動を見せ始めた。まだ昼間なのに周囲を窺う様子などなく、気配そのものが消えていく。注意を向けていなければ、すぐに香を見失ってしまう。それだけは、かすみにもわかっていた。香に気づかれないよう、ビルからビルへと渡り歩きながら、香の行方を追った。
 香の様子が変わってから、約十分。街の外れにある、まだ建設途中のビルに入った香は、迷うことなくその中を突き進んでいく。さすがにかすみは、自分が中に入っても気づかれない自信はなかった。ビルの奥に進む背中を見ながら、かすみは香が出てくるのを入口で待っていた。しかし、いくら待っても、香は出てこない。
 かすみは意を決して、ビルの中へと入った。足音がしないように気をつけるも、埃と砂利がたまった床では、音を食い止めるのは難しい。
 と、その時、見慣れた背中が前方に見えた。入口とは反対にある窓から、彼女は出て行った。追おうかどうか考えたが、中で何をしていたのかを調べるためには、今がチャンスだ。かすみは香を追うことなく、廃墟ビル内を歩いて回った。どうやら今、かすみ以外の人物はここにいないようだ。


 錆付いて半開きの扉が多い中、一つだけきっちりと閉められた扉があった。「ここかもしれない」、それはかすみの泥棒としての勘だった。
 ドアノブをゆっくりと回してみる。扉を押しても、中はよく見えない。キョロキョロと部屋を見回すと、近くの天井に電球らしきものがぶら下がっていた。扉を全開にし、窓のない部屋に薄い光を入れてみる。近づいて電球の付け根にあったスイッチらしきものを押せば、部屋はたちまち明るくなった。
「あら、ここじゃないのかしら・・・」
 部屋の中には、スチールの机以外に何もなかった。その机も錆びており、ちょっと手を掛けても引き出しが開かない。何か手がかりはないものかと、一番浅い引き出しに手を引っ掛け、かすみは力の限り引っ張った。ガタガタと抵抗した引き出しはやがて、ガタンという音と共に開いた。中を見ると、そこにあるのは十数枚のカードだけだ。全てのカードには、同じ紋章が描かれている。
「なに、これ?」
 報告するには、これを持ち帰りたい。カードを香が数え上げていればアウトだが、かすみがやっと開いた引き出しの中にあったものを、香が見ているはずはない。かすみは一枚だけ持ち出して、引き出しを元に戻した。
 今はこれ以上、ここにいるのは得策ではない。報告して、次の指示を待とう。かすみはそう思って、緊張したままビルを後にした。





 翌日、香が家事をしている間に、三人はキャッツアイへ集まっていた。
「ということなんです」
 かすみが報告を終えると、撩と美樹は顔を見合わせた。これで香の動きはわかったが、その意図するところがわからない。黙り込んでしまった二人に焦ったかすみは、次に見せようと思っていたカードをぐいっと差し出した。
「で、これがその部屋にあったんです」
 カードを受け取った撩は、信じられないものを見た、という表情をした。目が見開き、カードから視線が離れない。
「冴羽さん?」
 美樹が呼びかけても、撩は固まったまま動かなかった。何回も呼び続けてやっと、撩は美樹へと向いた。その表情は日頃の撩ではない、仕事に入ったときの顔だった。
「このカード、冴羽さんは知ってるの?」
「あぁ、知ってる。・・・美樹ちゃんは、描かれているやつを見ても気付かない?」
「ごめんなさい、私はわからないわ」
「そっか・・・。これ、あのときの資料にはなかったもんな」
「え、あのとき? ま、まさか・・・」
 美樹が何かを言おうとした瞬間、撩は持っていたカードを懐に入れた。一瞬の後、キャッツアイの扉がカウベルを奏でる。
「あら、撩。こんなところにいたの?」
 入ってきたのは、話題となっていた香だった。今の香は笑顔で、どこにも違和感など見られない。
「街中でナンパする声が聞こえなかったから、どうしたのかと思っちゃった」
「こんな暑くちゃ、撩ちゃん、脳みそ溶けちゃうっての」
「何よ、タンクトップの季節だ!って言ってたのは撩じゃない」
 多少呆れながらも、香の目は優しかった。買い物してきたのだろう、たくさんの荷物を抱えている。よいしょと袋をスツールに置くと、香は撩の隣に座った。
「ホントに暑いわね。美樹さん、今日はアイスコーヒーをもらってもいいかしら」
「あ、いいわよ。今から淹れるから、時間をちょうだいね」
「了解。じゃ、ちょっとお手洗いをお借りしま~す」
 変わらずニコニコしている香がトイレに消えると、撩は何かを考え始めた。そしてすぐ、
「ちょっと電話借りるわ」
と言って、店内にある電話の受話器を取り上げた。

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好き勝手に書き散らかしておりまする。書いたお話は、まるで千歳飴(どこ切っても同じ)。タニシのようにひっそりと生息中。

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