Ambivalent and Vague

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Anemone 5

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彼女は密やかに語る

 
 セイラが名乗ってからしばらく、二人は言葉を交わしていない。遠く大通りで行き交う車の音とクラクション、先頃鳴り始めた虫の音が自然と耳に入るくらい、そこは静かだった。
 ミックもセイラも、その目に敵意はない。ただ、セイラとの距離を測りかねている戸惑いが、ミックの目には混じり込んでいた。
「どうして…」
 ミックは撩との話を思い出す。そこに、セイラがこのように表出する主な要因は見当たらなかった。
 撩が結論を恐れて逃げ続け、そのことが香に傷を負わせ、そして蓄積していった。失いたくない存在だからこそ、決意したとしても、実際にその関係性を変えていくことには躊躇いがある。撩には言い分があるとはいえ、それが引き起こしたのはセイラの出現だ。考えられるのはそのぐらいだ。毎日負わされるのはかすり傷でも、積み重なれば大きなダメージとなる。
 その隙間から出てきたとして、セイラの目的がわからない。ミックの中には、疑問と仮説が次々と浮かんでは却下される。
 眉をひそめたミックを見て、セイラは薄く笑った。
「わからない?」
「あぁ、わからない」
 当人に聞かれれば、ミックはこう答えるしかできない。
「そうね、彼女が望んだから、かしら」
「カオリが望んだ?」
 ミックの眉間にシワが寄り、表情は険しい。香にとってセイラの存在が助けになるとは、とても思えない。
「今はこれくらいにしておくわ。じゃ、また会いましょう」
 軽やかな身のこなしでその場を立ち去ろうとするセイラに対し、ミックはもちろん追いかけようとした。
 その瞬間、ミックの目の前で光が弾ける。
「なにっ、閃光弾!?」
 手をかざすのが一瞬遅れ、ミックの目は光にやられ、何も見えない。急なことにバランスを崩し、両膝が地面に落ちた。布越しでも、アスファルトの感触が伝わってくる。
 こうなっては、目が回復するのを大人しく待つしかない。目を瞑り、掌で覆って出来るだけ暗闇を保ちながら、ミックは瞼の裏に浮かぶ光の焦げ付きが消えるのを待っていた。そんな最中、セイラの声が響く。
「私がこの身体の価値を教えてあげる。彼女が知らない自分、彼女に知らせようとしなかったこと。そう謀った男に伝えてもらえるかしら」
 セイラの高笑いが続き、それは次第に消えていった。まだ目は回復せず、ミックがセイラを追うことは不可能だった。


 ミックの目が回復したのは、それからしばらく経ってからだった。掌を外し、ゆっくりと目を開く。そこにはミックしかおらず、ぽつんと道路を照らす街灯が周囲を浮かび上がらせているだけだ。遠い車の音、虫の音。音は穏やかに過ぎていく。
 しかし、ミックの心はざわついていた。セイラの言葉が意図することを考えれば、悪い予感しかしない。
「撩、おまえが逃げ続けた代償は大きそうだぞ…」
 呟きはそのまま闇に溶ける。深呼吸をした後、ミックは懐に手を入れ、タバコを取り出した。





 翌日、撩とミックはキャッツアイの射撃場で話をしていた。まだ日中、いつもなら香が伝言板を見に行き、撩がその周囲でナンパを繰り広げる。そんな時間だ。射撃場の隅に置いてある小さな丸テーブル、そこに二人は九十度で腰掛けていた。先に来たのはミック、次に撩。なんのことはない、視線を交わすことも、逸らすことも、この九十度であれば簡単に出来るからだ。向かい合わせは、顔を上げれば相手が視界に入り、視線を合わせないこと自体が不自然となってしまう。


 ミックの報告に、撩は目を見開いた。この一件で驚くのは何回目なのか、それすらもわからないほど、撩にとっては予想がつかない。
「つまり、セイラはカオリの価値を知らしめる、と言ったわけだ」
「価値を知らしめるって、一体、誰にだよ」
「謀った男に言え、っていうんだから、おまえにじゃないのか?」
「俺は香の価値なんぞ、嫌っていうほど見せつけられてるんだよ。今更、何だってんだ」
 撩の言葉を聞いたミックが、「はぁ」とため息をついた。ミックの反応に、撩が怪訝な顔をする。
「なんだよ」
「じゃあおまえ、その価値を知ってるって、ちゃんとカオリに言ったのか? ないだろ。だから、カオリは自分の価値など知らないんだ」
「その通りよ」
 カチャリと射撃場の扉が開く。そこにいたのは、美樹だった。手にしていた銀色のトレイには人数分のコーヒーが乗っており、カップから立ち上る湯気が白くゆらめいている。
「香さん、自分が冴羽さんにとってどんな存在なのか、今でも悩んでいるわ」
 それぞれの前にカップを置きながら、美樹は言った。そのまま、撩の正面に座る。ミックよりも美樹は強敵かもしれない。逃げることは叶わないだろうな、と撩は既に弱気だ。
「おいおいリョウ、おまえは奥多摩でカオリに決意を告げたんだろ? それでなんで」
 二人に責められる形となり、分が悪くなった撩は黙りこんだ。撩の頭には、奥多摩での出来事が浮かぶ。


 確かに奥多摩で、撩は香に自分の想いと決意を伝えた。この裏の世界で二人一緒に生き延びるのは厳しいだろう。それでも、撩は香の側で、香の笑顔を見て生きていきたいと思った。あの場面での言葉は、決して嘘ではない。だが、今度はどうやって関係を進めればいいのか、わからなくなってしまった。例え香に嫌われ離ればなれになったとしても、香が幸せに生きているのなら、撩がそんな香の便りを遠く耳にできるのなら、それでよかったのだ。
 想いを告げてしまえば、遠くから見守るなどという選択肢は出来なくなった。誰よりも側にいたい、これは撩の本音だ。ただ、関係性を進めようとすると、撩の中に怯えが生じた。怯えが何を意味するのか、撩自身もわからなかった。


 撩の沈黙は単なる逃げではない、ミックも美樹もそう感じていた。それでも、これからどうするのか、考えるためには率直な意見を交わすのが近道だ。
「冴羽さん。香さんのことで、あなたに言っていないことがあったの」
「なんだい、美樹ちゃん」
 美樹が俯き、一呼吸置く。決意したように顔を上げ、撩を見据えて話し出した。
「私が毎月リラクセーションをしていたのは、香さんの中に残されたセイラ、その様子を見るためだったでしょ。確かに香さんが深く眠り、意識の境界が緩みを見せたとき、いつもとは違う話し方をしていたわ」
 美樹はかつてのことを思い出しながら、話を続ける。


 ブラックアーミーの一件は、ミックが来日する前のことだ。ミックはブラックアーミーという組織が存在し、日本で壊滅したという話を耳にはしたが、仕事を引き受ける関係ではなかったため、伝聞レベルでしか知らなかった。
 表向きは、日本の警察によって組織は終わりを迎えた、ということになっている。ブラックアーミーに連れ去られ、催眠術によってセイラにさせられた香は、確かに廃墟の屋上で香自身を取り戻した。
 原子爆弾を停止させた後、撩はすぐさまそこを立ち去り、海坊主たちと合流した。催眠術がしっかりと作用しているうちならば、別の人格であろうが、その人格から崩れることはない。しかし、このときの香は催眠術が緩みを見せていて、香とセイラが意識上で同時に存在している状態だった。二人の意識が混在し、それぞれの人格が崩壊するかもしれないという可能性。
 このままではまずいと美樹が判断し、催眠術でセイラを消去しようとした。セイラは元から香の中に存在する別人格ではなく、あくまでも組織によって作られた人格だ。消去することは可能、美樹はそう踏んでいた。
 結局、どうやってもセイラを消すことは出来なかった。セイラの意識を前意識に、そして無意識に追いやることは成功したものの、火種は燻ったまま、香は日常を迎えた。
 消えることなく香の中に存在するセイラが、いつまた現れるのか。可能性はゼロではない。だから、美樹は海坊主のためのリラクセーションと偽り、香を催眠状態にして確認していく必要があった。仮に香の意識を少し沈めれば、セイラの意識はどう出るのか。


「あぁ、美樹ちゃんが話し方を真似して教えてくれたもんな。確かにあれは、セイラだ」
「香さんの優しさが消えて、冷たい気配に変わる。セイラが浮かんでくるのは、ほんの僅かだったのよ」
「じゃあ、最近は違っていたってことかい、ミキ」
 浮かんだ疑問を、ミックは美樹にぶつけた。そこまで詳しくは聞いていないので、ミックにとってもわからないことが多い。
「なぜかはわからないけれど、セイラが浮かんでくる時間が多くなっていたのは事実よ。だからといって、私とセイラが話せたわけではないわ。あくまでも呟いていただけ」
「だからミキは、カオリとの時間を長くせざるを得なかった、と」
「そう、セイラを浮かび上がらせたままで終わらせるわけにはね。それに手間取り始めて、時間が長くなったのよ」
「それが香の価値と、どう関わってくるのかな、美樹ちゃん」
 撩が聞きたいのはそこだ。単刀直入に聞いた撩に対し、美樹は切ない表情をした。
「呟いたのは、セイラだけじゃない。香さんだって呟いていたのよ。普段は隠している、彼女の深層心理をね…」
 そう言って、美樹は言葉を止めた。


 香が意識せずに話したことを、本人に確かめることなく、撩に話してしまっていいのかどうか。撩には知られたくないと、香が奥底に秘めているものだと思うからこそ、口にすることが躊躇われた。美樹の迷いは、身体を緊張させる。自分を包んで慰めるかのように、両手でぎゅっと自身を抱きしめた。
「美樹ちゃん、言ってくれ。後で俺をなじってくれても構わないから、教えて欲しい」
 恐らく、今回の状況を終息させるための鍵は、そこにあるのだろう。撩の勘はそう告げていた。
 美樹はふっと体の力を抜き、腕から自分を解放した。射撃場の先、取り付けられている的を見ながら、美樹は言う。
「冴羽さんに必要とされるには、どうしたらいいんだろうって」
「香が、そんなことを?」
 撩が驚いた顔で美樹を見つめた。自分が香を必要としているなどわかりきったこと、香だってわかってくれている、そう思っていた。
「驚くのね。じゃあ冴羽さん、香さんの努力を認めたことがある? たまに認めてあげていたとしても、そんな魔法はすぐに消えちゃうのよ!」
 大切な存在だというのに、ぞんざいな扱いしかしない。しかも、奥底に隠している本心は伝わっているはずだ、と香に甘えてばかりの撩に、美樹は苛ついた。たまらず、美樹はテーブルの上にグイッと身を乗り出し、必要以上に大きな声となる。一瞬で強まった圧力は、撩をのけぞらせた。ミックがここぞとばかりに美樹を援護射撃する。
「リョウが足りないのは、そこだよなぁ。他の女を口説くのなら、いっくらでも言葉が出てくるのに」
「うるせぇ」
 姿勢を戻した勢いそのまま、撩はテーブル上で伏せた。
「香さんだって、冴羽さんを信じているの。でも、香さん自身が揺らいでいたら、そんなの意味を失うわ。だって、自分を信じられないんですもの」
「カオリに足りないのは自信。そして、それを認めず、下げることしか言わない男。こりゃ最低、最悪だね」


 二人のやりとりを聞きながら、撩は考えていた。自ら視覚を放棄し、これまでのことを思い返していたのだ。
 香の様子が変わったとき、一体何が起こっていたのか。それをもう一度検証する必要があった。あの時の会話、自分の言葉、香の反応…。そこから、キーワードが一つ浮かぶ。
「必要、か」
「そうだぞ、リョウ。おまえはこんなにもカオリを必要としているのに、それを伝えたことがあるのか?」
 聞こえるか聞こえないかの大きさで呟いた撩に、地獄耳のミックはすぐさまツッコミを入れた。
「…ないな。だから、言葉に反応していたのか」
「どういうことだ?」
 撩が起き上がり、ミックを真っ直ぐな視線を向ける。ミックが見たのは、先程までの煮え切らない男ではなかった。
「よーく思い返してみたら、俺の前で香に変化があったとき、同じ言葉を使ってた」
「それが?」
 よくわからないミックが、先を促す。
「必要、さ。最悪なことに、香を必要としていたんじゃない。他が必要だって言ってんだよな」
「おまえ、この期に及んで、まだそんなことを言ってたのかよぉ」
 信じられないとばかりに、ミックは白い手袋のまま、髪に手を挿し入れた。「あ〜っ」と言いながら、ぐしゃぐしゃと掻き乱す。
「このガキッ!!」
「なんとでも言え」
「なんだとっ」
「それでおまえの気が済むのなら、な」
 自分が悪い、それを撩は重々承知している。香を大切な存在だと思っている人間にとっては尚更だ。今の撩には、こうした言葉の刃を甘んじて受けるしかない。状況を大きく打開する策もない中で、撩が出来ることといえば、それだけだった。
「リョウ、おまえ…」
「わかってる。幕引きは俺と香だ。だが…」
 何をしたらいいのか、判断がつかない。こんなことは自分の人生の中で初めてかもしれない。撩は天井を見上げて、ふぅと息を吐いた。





「あら、おかえりなさい」
 リビングを片付けていた香が、撩の帰宅に気付いて声を掛けた。
 目の前にいる香はいつも通りで、優しさと活発さが同居している。しかし、美樹の話は内面のことだった。もしその活発さが弱さを隠す鎧で、優しさがゆえに弱さを撩に言えないのだとしたら、今のままでは変化しようがない。本当は撩から歩み寄らなければならないのだろう、そのタイミングがわかりづらい。きっと今は、言っても否定される。
 自分をじっと見つめながら、しかし自分ではなく遙か遠くを見ている。そんな撩の目を見て、香の胸が苦しくなる。最近、この苦しさが増え、その度に自分の内側から何かが這い出してくるような気分になるのだ。香にもわからない、形のない真っ黒なそれは、意味づけが出来ないからこそ恐ろしい。見なかったことにして、見た目の平穏を保つに限る。
 自分が何かに覆われ、現実から切り離される感覚。目の前には黒い背中があって、自分の視界を遮っている。耳を覆われているのか、音も聞こえない。どうしてこんな状況になっているのか、不安高まる自分の心音と呼吸の荒さが聞こえるばかりだ。時間の感覚も奪われ、自分が逆に閉じ込められる。何もわからないままで、奥底へと落ちていく。
 撩と香、二人ともリビングにいて見つめ合いながらも、その心は思考の波間へと旅立っている。先に戻ってきたのは、撩だった。
「香?」
 のぞき込んだ撩は、心配そうな表情をしている。香の意識が遠く離れていく、そんな感覚を持ったからだ。
 一度呼びかけたくらいでは、香は反応しなかった。もう一度、撩は香の名を呼んだ。
「香!」
「あ、ああ。撩、どうしたの?」
 二度目の呼びかけで、香の意識はリビングに戻ってきた。撩はじっと香を見つめる。香の瞳には、なにかに怯えている撩が映り込んでいた。香は自分のことに精一杯で、撩の表情には気付かない。
「ごめん、ボーッとしてたね。コーヒー飲む?」
 真っ黒なそれは消え失せ、香の中には、胸が苦しかった記憶しかない。いつものことだと割り切って、香は明るい声で撩に言った。





 夕食ができるまではと、撩は自室で思索に耽ることにした。セイラという存在が掴めず、悩ましい。
 教授から得た情報を合わせてみても、ブラックアーミーに復活の動きは見られなかった。懸念された点は、教授がげんなりした表情を見せるほどに質問を繰り返し、可能性を一つ一つ潰していった。かつて香がブラックアーミーに攫われたとき、彼女をセイラに仕立て上げた人物。美樹にも解除が難しいと言わしめた催眠術師は、船での戦闘で命を落としていた。
 残る可能性は、依頼遂行中に敵からかけられた催眠術だ。相手の顔を忘れるという、セイラとはおよそ関係のない催眠術ではあったが、これが契機となってセイラが意識の表層まで出てくることとなった、という可能性は高い。自分に自信が持てていなければ、自分という意識の枠が脆かったりもするのだろう。そこをセイラに突かれたとしたら。
 いや、そもそもセイラ自身に出現の機を狙う意図があったのかどうか、そこからして何も確証がない。セイラは機を窺っていたのではなく、突然道が開けて引っ張り出されてしまったのだとしたら。
 そう考えた瞬間、撩は頭を振った。意図的ではないのだったら、撩の前であんなにも断定的な言い方をしないだろう。どうしてここにいるのか、そんな戸惑いがないまま、セイラは現れている。やはりセイラは、何かを狙っていた。そしてそれは、香自身の価値を知らしめるため、なのだと言う。
 トラップは香に任せてもいいレベルだ。体術は、自分を守るには十分な力を持っている。
「銃はなぁ、実はあいつ、センスあったんだよなぁ…」
 香が本当の意味で銃の練習を始めたのは、ミック来日以降だ。それまでは、照準を狂わされたローマンで練習していたのだから、どうにも上達するはずがない。ミックに違う銃を渡されて以降、香はローマンだけでなく、他の銃でも練習するようになっていた。どんな銃がいいのか、質問された撩は、香の射撃を見ながら銃を選んでいる。
 ただ一つだけ、香には持たせたくない銃があった。
「コルトガバメント、か」
 一時期、諸外国の警察や軍で採用されていた銃だ。撩も一丁だけでなく、複数を所有していた。その中で一つだけ、箱で封印されたコルトガバメントがあった。
「なにをする気なんだ、セイラ…」
 タバコを吸うのも忘れ、その思索こそが撩を動けなくする。あまりにもわからなくて、撩は一旦、目を閉じた。

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Author:うーたん
好き勝手に書き散らかしておりまする。書いたお話は、まるで千歳飴(どこ切っても同じ)。タニシのようにひっそりと生息中。

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