Ambivalent and Vague

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Anemone 7

Anemone.png
君の波に僕は飲まれる

 
 セイラを追わず、撩はアパートへと帰宅した。直帰すれば、撩の方が早い。まだ二人のアパートは暗かった。香のいない空間に、撩の胸はざわつく。
 今、香の身体を支配しているのはセイラだ。その彼女をあのまま、野放しにしてよかったのだろうか。セイラの言葉を信じれば、朝には香に出会えるのだろう。またいつもの日常を演じて、夕方にはあのビルで。
 撩は自分がどうしたらいいのかがわからなかった。香がきちんと帰ってくるのか、それを知りたい。例え待ち受けていたとしてもそれはセイラで、また何か言われるのは明らかだった。
「部屋に行くしかねぇか」
 セイラなら、撩の帰宅も、眠れずに息をひそめていることもお見通しだろう。それでも、やはりわかっていたい。
 こんな女々しい自分はなんなのだと、撩はうなだれた。電気が点いていないリビングで、窓から入り込む街の灯りだけが、撩を照らして身体の輪郭を浮かび上がらせる。男にいつもの自信など、どこにも見当たらない。
 背中すらも丸め、撩はとぼとぼと自室へと上がっていった。
 ほどなくして気配が一つ、アパートへと入り込んだ。その動きを確認して、撩は眠りに就いた。





「ほらっ、撩、起きて。もう朝よ」
 ぼやけた意識の向こうから、香の声が聞こえる。いつもなら敢えてごねる朝も、今日は本当に起きられない。それぐらい、昨日のやりとりが効いていた。
 うっすらとした視界がはっきりしてくれば、目の前には香だ。今度はセイラなどまるで思わせない、向日葵のような姿だった。
「あ、起きたかな。おはよう、ご飯できてるよ」
 いつもの香だ。だから、「あんだよぉ、もうちっと寝かせろよ」と言うつもりだった。まだ身体に疲れが残っている。


 その瞬間、セイラの台詞が頭に響いた。
 ───…だからあなたは、この子をわかっていないのよ。
 目の前には香、今耳にしたのはセイラの声。まだはっきりしない意識は、二つの情報を混線させた。
「んなわけねぇだろっ!」
「きゃあっ」
 ガバッと上半身を起こした撩に、香は何がなんだかわからず驚いた。ハッとした撩が見ると、香は目をさらに大きくし、自分の身を守るように腕を胸で交差している。姿も反応も何もかも、自分が知っている香だ。セイラのように挑戦的に向かってくることはない。それを実感してやっと、撩は落ち着けた。
「な、なによ。いつものように起こしに来ただけじゃない」
 弱々しく出た声は、香の戸惑いを表していた。心なしか、香の目が潤んでいるように見える。
「すまん、ちょっとな」
 こんなときは、素直に謝る方がいいのだろう。ちょっと前なら出来なかったことも、今なら選択肢として浮かべることが出来た。


 謝る撩など、ほとんど見たことがない。その珍しさが、今の香にはむしろ堪えていた。
 教授からの依頼は、それほどまでに大変なものなのだろうか。自分は何も手伝えないのだろうか。そして、何のために自分はいるのだろうか。撩のことを大切に思っているのに、何もできない自分は果たして、ここにいていいのだろうか。
「ご、ごめんね」
 香は何も言うことが出来なくなった。唯一言えたことと言えば、謝罪だけだ。何に謝るのか、自分でもわからない。
 お互いに謝る二人には、重苦しい空気が流れていた。二人を纏う空気は変わることなく、時間だけが過ぎていく。





 本当は、昨夜の出来事を香自身がどう捉えているのか、それを確認しておきたかった。事実だけでなく、各自の認知を確認しておくことは、スイーパーにとって大切なことだ。出来事は一つでも、人の数だけ真実があり、だからこそ歪みが生じる。
 セイラが身体を支配する時間が増えれば、いずれ香自身も気付くのだろう。自分の記憶には空白地帯があり、どんなに努力をしても取り戻せない場所なのだと。
 撩は、香を素直な性格だと思っている。明るさと強さ、それも香の特徴だ。そして、セイラが突きつけてきたことも事実だ。
 見て見ぬ振りをしたかったわけでもなく、忘れていたわけでもない。香の奥底には「不在」が眠っている。本来は何かで満たされているはずの場所が、今はぽっかりと空いている。「不在」をそのままにしておけるのは香の強さであり、見えないように奥底へ眠らせているのは香の弱さでもあった。槇村の死ではなく、香のこれまでの生い立ちがそうさせているのだろう。
 愛されていたとはいえ、我慢を重ねていた幼少期。真実を知って、何とか飲み込もうとした思春期。そして、家族を喪った二十歳。
 「不在」は埋められることを待ち焦がれたまま、今もそこにある。ただひっそりと、満たされることを待っている。出来れば、満たすのは幸せであるといい。香に幸せをもたらすことが出来る存在、惜しげもなく注がれる愛情こそが相応しい。本当の幸せを願うなら、その存在は撩ではないはずだ。ミックとの決闘でそう告げたし、実は今でも頭の片隅に残っている。こんなにも香のことを想っているのに、自分は何一つ差し出せるものなどない。だから、撩が香を満たせるはずもないのだ。
 奥多摩の後も、相変わらずこの堂々巡りだ。この状態が何を香に強いているのか、それがわかっていながら、撩は何かをしようとはしなかった。長い時間をかけて積み重ねたものが崩れるのは、どんなことでも一瞬だ。次にどんな展開が待ち受けているのかなんて、誰も教えてはくれない。
「いや、一人だけ教えてくれていたか…」
 撩は一人の男を思い浮かべる。彼が自分に対して何をしたのか、その過去を撩は今でも鮮やかに思い出すことが出来る。海原からもたらされた闇に溺れることは無くなったけれど、その爪痕は撩の心に遺っていた。親子の決着がついたからといって、そう簡単にまとまるような、生温い関係ではない。
 海原と自分は違う。だから、香には関係のないこと。そのはずなのに。
「なんで俺、香に手を伸ばせないんだろうな…」
 午後の光が差し込むベッドで一人、撩はぽつりと呟いた。





 夕方、ビルへ向かう前に、撩はキャッツへ立ち寄った。いつもの席に着いた撩は、差し出されたコーヒーをぐいっと飲み干す。置かれたカップにもう一杯、美樹はコーヒーを流し入れた。唇も喉も潤った後、美樹や居合わせたミックには隠すことなく、昨日のやりとりを告げた。
「そう、そんなことを…」
 美樹が沈痛な面持ちで言葉を吐き出す。この数ヶ月でのやりとりで、香がどんなに撩のことを想い、そして悩んでいるのかを知っている。それがセイラの発言だったとしても、美樹の胸が痛くなる言葉だった。
「セイラは何のために出てきたんだろうね。なんだか、カオリが言えないことを知らせるため、そんな風にも思えるよ」
 ミックも溜息をついた。香の身体を使って世間を混乱に陥れる、セイラはそんなことにまるで興味はないらしい。セイラは香が愛する男の正面に立ち、言葉を放ち刺す。よほど追い詰められなければ、香には出来ない行動だった。それをしたところで、撩をどうしたいというのか、そこがわからない。二人を引き離したいのか、否か。
「カオリの願いって、一体なんだろうな、リョウ」
 結局はそこなのだろう。ミックが言う通り、香がどうしたいのかが重要なのであって、セイラに閉じ込められている香は、自分がしたいことに気付いていないのかもしれない。何を言われても、どんなことがあっても譲れない、香の願い。ただ今さら、それを聞き出すことは難しい。それぐらい、香は自分の願いを奥底へ眠らせている。
「何だろうな。俺にもよくわからん」
「本当にそう思うの? 冴羽さん」
 美樹が即座に意義を唱える。カウンターから身を乗り出してまで言う様子に、想いの強さが感じられた。
「わからないんじゃなくて、見て見ぬ振りをして、認めようとしなかっただけなんじゃないの?」
「美樹ちゃん…」
 日中の迷いを見抜いたような指摘に、撩は誤魔化すこともできない。自然と撩は下を向いた。手元に置かれたコーヒーに、情けない男の顔が浮かぶ。
「冴羽さん、これは香さんだけの問題じゃないの。香さんだけがどうにかすればいいんじゃないの。あなたの問題でもあるの。だからお願い、ちゃんと香さんを見て」
 美樹にとって、香は妹のような存在である。裏の世界で生きる男を愛し、その側にいようとする。自分は早くから裏の世界に飛び込んだが、香は違う。そのことに撩が葛藤を持っていることは知ってはいても、葛藤は撩の領分であって、解決を香に委ねるのは間違っている。香は自分が撩の足手まといになっていると感じているからこそ努力し、トラップの腕を磨き、撩のタイミングを読めるようにもなったのだ。全ては、これからも撩の側にいるため。依頼時のコンビネーションは別として、香のそんな努力に、撩はほとんど応えていない。
「わかってるよ…」
 撩はそう言うしかない。まだ決めきれない迷いを隠すために、まだ顔は上げられなかった。





 夕方五時、約束の時間だ。撩がビルへ到着すると、昨夜の空間にセイラの気配は感じられない。
「どこにいるんだ…」
 目を閉じて探ると、はるか上に一つ、動きが感じられた。見回して階段を見つけると、撩は自然と駆け足になっていた。
 屋上へ続くドアを静かに開ける。景色を見るように佇む女が一人、そこに待っていた。階段を上がってきた撩に背を向け、何かをじっと見ているようだ。その長い金髪は風になびき、夕日がいっそうの輝きをもたらす。セイラは夕焼けの世界に溶け込んでいた。
 ジャリっとわざと足音を立てると、セイラが振り返る。「あら」と初めて気付いたように、その目を大きくしていた。
 セイラは普通、目を少しだけ細めている。それは落ち着いた印象の他に、セイラが持つ厳しさを表しているようだった。そこに立っている彼女を見れば、香の痕跡を見つけ出すことは難しい。思っていたよりも、明るい場所で見るセイラに撩が心を乱されることはなかった。
 しかし、その目を大きくすれば。一瞬でも香の表情が戻ってくる。セイラにその意識はないにしろ、撩が勝手に香の痕跡を読み込んでしまう。目の前にいる女が実は香である、という事実を改めて突きつけられて、その一瞬の方が撩は堪えた。
 撩の心の内など構わず、セイラは口を開く。
「早かったのね。もっと待たされると思っていたわ。…いいえ、来ないかと思ってた」
「それは、今までの俺の行動から導き出された結論かな」
「わかっているじゃない。今まであなた、私との待ち合わせを守ったことがあったかしら」
「きみとは守っただろ。香とは…。そうだな、守れていなかっただろうな」
 目の前にいるのは、香であって、香ではない。今の意識はセイラだ。香の真実を突きつけてくるセイラに対して、撩は胸の内を明らかにした。今までと同じでは、事態は何も変わらない。香はセイラとなって変化を見せたのだから、撩も変わる必要がある。撩ができることといえば、それだけだ。
「気持ち悪いほど素直ね。…ま、いいわ。それで、何を話しましょうか」
「セイラ、きみは一体、何のためにそこにいる?」
 こんな言い方は唐突だ、と撩は自分でも思う。それでも、今聞きたいのはそれだった。重苦しい空気が支配する香との関係より、はぐらかされても話ができるセイラとの関係の方が、実は楽なのかもしれない。我慢をして最終的には何かを無かったことにしてしまう香は、その奥底を探るのに時間がかかる。セイラは香と違って、自分の欲望に忠実なはずだ。自分の持っていき方により、話を引き出せるかもしれない。そう思う撩は、自分の奢りに気付いてはいない。
「それは昨日言った通り。彼女のためよ」
「どこが香のためなんだ。香の意思はどこにある」
「この子の意思など蔑ろにしてきたあなたが、それを言う?」
 フッと鼻で笑ったセイラは、話にならないという表情だ。今日もまた同じ話の繰り返しならば、こんな時間は必要ない。
「そんな話なら、私は行くわ」
「待てよ、セイラっ」
 帰ろうとするセイラを遮るように、撩はドアへの道を遮った。
「邪魔よ」
「話は終わっていない」
「終わってるわ。同じ話の繰り返しをするくらいなら、私は先へ進まなくちゃ」
「なに!?」
 撩の身体に緊張が走る。セイラが言う「先に進む」ということが何を意味するのか、昨日の話を振り返れば考えるまでもない。
「どきなさいと言っているのよ!」
「そんなことはさせん」
 陽が傾いた屋上で二人、厳しい表情をしたまま動かない。先にどちらが動くのか、自分の有利な形に持って行くにはどうしたらいいのか。お互いがそれを考え、機を窺っていた。
 すると、セイラが身体から力を抜いた。この瞬間か、と動き出した撩が、全身で感じ取ったもの。


 撩が生きてきた世界、そして幼き時代を過ごした戦場では、気配が重要だった。気配がわかれば人間の位置が明らかになり、それは命に関わる。スイーパーとして生きる現在であっても同じだ。銃口を自分が向けることで準備態勢となり、撃つにしろ撃たないにしろ、相手を威嚇することができる。
 殺気があれば、それはもっとはっきりする。殺気は明らかな敵意だ、察知すれば自然と銃口を向ける。それが誰であったとしても、呼吸をするように撩は銃口を向ける。これまでに叩き込まれてきた構えと経験が、撩をそうさせる。
 そう、誰に対しても。


 ───だから俺は今、何をした?


 セイラの隙は殺気で満たされ、ほとばしる。撩が感じないわけはない。腰に忍ばせた銃を向けるよりも早く、黒光りしたパイソンがセイラに向けられた。
 照準はお互いの身体、さらに撩はセイラの腰骨を狙っている。極度に高められた殺気は撩から容赦というものを奪い、最善の策を無意識に取らせた。あとは引鉄を引くだけ、指だけでセイラを銃弾で貫ける。狙ったのはガバメントではない、その事実に撩は衝撃を受けた。
 ───あの瞬間ですら俺は、香に銃を向けなかったのに…。
 困惑した撩を見て、セイラは微笑む。撩の方が何もかも早かったのだから、そのまま撃たれても良かった。それぐらい、撩の狙いは躊躇いがなかった。
「この身体を撃てるんじゃない、撩」
 感情の乱れがセイラにも伝わったと知り、撩は表情をスッと固くした。これも戦場以来、身に着けた術だ。感情の乱れは判断の乱れに繋がり、命を危うくする。
 セイラはまだ、銃を撩に向けている。一度向けた銃口を、撩もそう簡単に下ろすわけにはいかなかった。
「俺を殺すために、その銃を選んだのか。あのとき俺を撃った、そのコルトガバメントを」
「さぁ、どうかしら。私には扱いやすそうな銃だったから。ただそれだけ」
 銃を下ろすわけにもいかないが、撃つわけにもいかない。例え撩の身体であっても、今一度、香の手を血で染めるわけにはいかない。その手に硝煙の証を刻むわけにはいかないのだ。撩はどうにかしようと考えを巡らし、そして葛藤した。セイラの笑みは、さらに喜びを見せる。
「迷いなさい。…あなたには、私を撃てないわよ。だって」
 セイラは一息置き、言葉を続けた。
「だって、あたしは香よ」
 その声も表情も香だった。金髪の違和感など関係なく、雰囲気はまさに香だったのだ。改めて突きつけられたのは、香という存在。セイラが香であることも、自分が銃を向けたことも、撩は全てを否定したかった。その気持ちが強まった瞬間、セイラが動いた。
「撩、私の気持ちよ」
 直後、ガバメントの銃口が火を噴く。迷いのない銃弾は空気を切り裂いた。撩の黒髪がふわっと舞い、地面に力無く落ちていく。
 判断が遅れた、それは撩も認めざるを得ない。もし適切に判断できていたとしても、撩は同じことをしていただろう。まだその心に香は生きている、彼女の身体が今、撩を傷付けることはしない。例えそれが、自惚れだと責められても。
「動かないなんて、私が撃たないとでも?」
 セイラは問い掛けるが、撩は答えない。少し前に見せた戸惑いも失せ、ただ漆黒の瞳がセイラを見つめていた。その目を見ていると、セイラは気分が悪くなる。自分が優位に立てなくなる。
「さすがシティーハンター。この状況でも冷静になれる、か。例え、自分が香に銃を向けてもね」
 撩から視線を外し、セイラはガバメントを持つ自分の手を見つめていた。そして、笑みを再び浮かべる。
「余裕ね。でも、それがいつまで続くのかしら」
 お互いに感情を掻き乱す。感情の波は、まるでシーソーゲームだ。どちらかが掻き乱し、乱される。シーソーは激しく揺れる。
「その手。パイソンを手にしたあなたの手。あなたはわかっているのよ、染み込むほどに自分の手が血塗られていると。だから愛してはいけないというのなら、この子は一生あなたに追いつけるはずもないわ」
「香はそんなことに追いつかなくてもいい。それは俺が背負うことだ」
「あら、彼女はそう思っているのかしら。…そうだ、この手が血塗られたら、あなたどうする?」
「セイラ…」
 昨日といい今日といい、セイラは香に決して許したくない部分を突いてくる。他の男に身を委ねさせることも、その手を汚すことも、撩は許し難い。自分の奥底にある激情をわかっていたから、手遅れになる前に押さえつけていたのだ。一度でも漏れ出てしまえば、撩はその激情を抑える術を知らない。
「私はセイラ。今のあなたでは、私を止められやしない」
「そんなことはさせない。その手を汚させることは、絶対に」
 槇村との約束がなくても、その手を汚させたくはない。真っ白な手になどもはや戻れない撩にとって、香を守るのは願いでもある。自分が為し得ない可能性を持つ香へ託す、撩の羨望から来る願い。撩の勝手だとしても、香が望んでいなくても、その願いは譲れない。
「いつまでその誓いは守られるのかしら。楽しみにしているわ」
 セイラが動き出す。身を翻したセイラが飛び込んだのは、屋上の外だ。いつの間にか端の杭にロープが繋がれている。ロープを華麗に操り、セイラは下の階へと降り立ったようだった。セイラの高笑いが下の階から響く。今から背後の階段を下りれば、追いつけるかもしれない。そう思っても、今の撩はそれどころではなかった。高笑いはだんだん遠くなり、そして消えた。
 今からセイラは、撩が許せないその一線を越えるのかもしれない。ただ、撩をいたぶるように追い詰めるセイラが、すぐ実行に移すことは考えにくかった。そう思いたかった。ミックや海坊主から「それがおまえの甘さだ」と言われたとしても、撩の勘はそう告げている。
 ゆっくりしている時間はない。結論は早く出さなければならない。それだけはわかっていた。





 このままアパートには戻りたくなくて、撩は繁華街を彷徨った。きらびやかな欲望も快楽も横たわるその街に、撩が心惹かれるものは何もなかった。ただ歩いただけで、身体も心も重いままアパートに戻った。
 そんな撩を迎えたのは、「おかえりなさい」という香の一言だった。朝の重苦しい空気は、もうない。そこにいるのは、香。その存在が、セイラが作り出した撩の空白を少しずつ埋めていく。
「ただいま」
「ご飯はもうちょっと待ってて。なんだか疲れてたみたいで、お昼寝しちゃってたから」
 そう言って、パタパタと香はキッチンに消えていった。後ろ姿に、セイラの面影は見当たらない。
「俺の問題だな、確かに」
 ひとりごちて、撩はリビングへと向かった。この嬉しさを隠すために、どんないかがわしい本を持てばいいのか、それを考えながら。

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プロフィール

うーたん

Author:うーたん
好き勝手に書き散らかしておりまする。書いたお話は、まるで千歳飴(どこ切っても同じ)。タニシのようにひっそりと生息中。

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