Ambivalent and Vague

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あなたに似た声 9

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私が聞きたい声

 
 街路樹の陰から出てくると、撩はそのまま香の正面に立った。一緒には生活しているけれど、こんな風に真向かいになることは多くない。撩の胸元からゆっくりと視線を上げていけば、撩の表情がわかる。その瞳はひどく優しいもので、そしてどこか愁いを帯びていた。また何か言われるのかと思うのは一瞬で、今の撩からはそんな言葉が出てくるわけはない。なぜか香はそう思った。
 撩の手が伸び、指が香の柔らかな癖毛を捕らえる。クシャリとしたその手のひらも、香は好きだ。
「おつかれさん」
 労りの気持ちが込められた言葉に、香はどう反応していいのかがわからなくなる。今までが今までだったから、軽口を叩かれたり、窘められたりするのに慣れてしまって、自分の頑張りを認めるような言動はあまりもらえていなかった。
 そんな香の戸惑いが表情に表れていたのだろう、髪に置いた手はそのままに、撩は香をじっと見つめていた。





 香がアパートを立ち去った後、撩は自分がどうすべきかを考えあぐねていた。もし圭一が香との未来を望み、そして香もそれを受け入れたとしたら、自分にできるのは身を引くことだけだ。香を託せるほどの男だと判断していたし、違う未来の方が彼女は幸せなのではないか。いくら屋上で告白しても、船底でガラス越しのキスをしても、森の奥で「死なせやしない」と誓っても。自分が裏稼業をしている限りは香を危険に曝すことに変わりはなかったし、そこから遠ざけたいのも正直なところだ。


 けれど、撩はアパートを出て、香を追った。


 槇村の代わりに香の新しい出発を見送らなければならない、そんな気持ちは一瞬だ。こんな人間である自分をありのままに受け入れ続け、どんな事実からも目を背けることもなく、側にいてくれた数年間。それは、これまで人と親密な関係を遠ざけてきた撩にとっては新鮮で、戸惑って、そして手放しがたい宝物となっていた。彼女を手放せば、同じような存在すらも手にすることはできない、撩にだってそれぐらいはわかっていたのだ。自分の価値がわからず、他人の為に全力を尽くすことで自分の立ち位置を見出してきた撩にとって、香は居場所を作ってくれた存在なのだから。


 それを改めて認めてしまうと、いくら香が新しい未来を望もうとも、違う道を選ぼうとしても、撩は別れを口にすることができない。これまで散々彼女を傷付けてきたことはわかっている。香に許さないと言われても当然だ、とも思っている。それでも、現在を越えて未来を真っ直ぐ見据えるあの瞳を見ていたいし、トラップを仕掛ける細くしなやかな指に触れていたい。香のとめどない話を聞いていたいし、彼女の温かい心を感じていたい。自分よりも小さいあの背中に、撩は一体どれほどのものを背負わせてしまったのだろう。


 自分が悪いのはわかっている。それでも撩は、香と共に歩む未来が欲しかった。





 こんな撩の目、今まで見たことがあるかしら。
 香は、なんとなくそう思う。どこか許しを乞うような、そんな目を香に向けたことは、ほとんどないはずだ。だからやはり、香は何と言っていいのかがわからなかった。
「すまない」
「え?」
 突然、何を謝罪するというのか。散々言われたことなら今さらだし、撩の意図が読めない。
 すると、撩がさらに言葉を続けた。
「おまえを手放せなくて、すまない」
「それは、どういう……」
「言葉の通りさ。おまえを手放したくない、そう思ったんだ」
 いきなりの展開に、香は本当についていけない。手放したくないと言われるのは嬉しい。自分だって撩の側から離れたくないし、このままずっと一緒にいられたらと望んでいる。だが、出掛ける前まであんな言葉を吐いていた人間が、どうしてこの発言になるのか。そこがつかみ切れていなかった。
「そんなこと言われても、わからないよ……」
 香の表情が、戸惑いから困惑に変わる。それでも撩は言い続けるしかないのだ、香の真っ直ぐな瞳を見据えたままで。
「そうだな。……でも、手放したくない、手放せないんだよ」
 こんなにも何回も言われてしまえば、香はもう撩の言葉を否定することはできない。改めて聞いた撩の気持ちは、傷つきが残った香の心を少しずつ癒していく。
「い、いいの? 撩、あなたの側にいてもいいの?」
「いてくれよ、おまえも望んでくれるのなら」
 逃げのない撩の言葉が、香の心にどんどん染み込んでいく。溢れた嬉しさは流れだし、涙となって現れた。その涙をそっと拭うように、そして溢れた嬉しさを守るように、撩は香の頬に手を添えた。
「……いたい。あたしはずっと、撩の側にいたいの。だからお願い、側にいさせて」
「香……」
 花びらがそっと舞うような風が吹く中、撩は香を引き寄せ、そして抱きしめた。撩が腕に力を込めれば、香も同じく力を込める。
 気持ちを言葉に乗せてみれば、辿り着いた答えはシンプルだった。この温もりから離れたくはない、二人はそう思う。


 ふと、香はあることを思いついた。
 今日は一日、撩と同じ声を持つ圭一と過ごしていたが、やはり撩の口からもっと聞きたい。今までの撩にそんな願いを口にすれば、罵詈雑言で返されたに違いないことでも、今ならきっと叶えてくれるはずだ。その声で言われて、香が幸せになれる言葉。
「撩、あのね」
「ん?」
「お願いがあるの、くだらないことかもしれないけれど」
 今度は、撩が戸惑う番だ。気持ちを直接的な言葉で確認しあったとは言え、次に何を求められるかなんてわからない。繁華街の女性たちの言動ならすぐに思い浮かぶも、香の思考は時としてわからなくなるから把握しきれない。だからこそ、撩は香の願いを聞きたいと思う。
「なんだ、言ってみろよ」
「うん……」
 いざ言おうとすると、香の中に恥ずかしさがこみ上げてきた。今さら感のあるこの願いを言うのは、香だからこそハードルが高い。それでも、聞きたいものは聞きたい。
「あのね、あたしを呼んで。あたしの名前をいっぱい。あたしが撩の側にいるってわかるように」
 こんなささやかで大切な願いを、無下にできる男はどこにいるのだろうか。撩はフッと微笑んでから、香の顔を覗き込んだ。
「かーおーり、香ちゃん、カオリン、香さま、かおりちゅわん」
「もうっ、なんでだんだんとふざけてくるのよっ」
 単に名前を連呼してくれればよかったのに、なぜか変化球を投げてくる。そんな男が小憎たらしく、よくもまあこんなにも呼び方を思いつくものだと感心もしていた。そのとき。
「香。もっと呼ぼうか、香。そうじゃないと、依頼人の声と混ざるもんな、香」
「え、気付いてたの?」
 撩と圭一、二人の声について、撩はわかっていたのだと香は知る。
「電話があったろ。そのときにわかったんだよ、同じ声なんだって」
「自分と他人じゃ、聞こえ方が全然違うのにね」
「それぐらいわかんなきゃ、こんな仕事やってられんだろ。だから……、大変だったな、今回の依頼は」
 香の中で、二人の声がどのようなことを引き起こしていたのか。彼女の迷いすらも見抜いている発言に、その上で手放したくないと言ってくれたことに、香は嬉しさを覚えずにはいられない。
「うん、頑張ったよ」
「そうだな。そして、香……」
 気持ちを整えるように、撩が一呼吸置く。それは自然にサラサラと、撩の口からこぼれた。
「ありがとう」
「うん……」
 香の視界は滲みすぎて、撩の表情すらもわからない。ただ香を引き寄せた腕の力と温もりだけはわかるし、それで十分だった。





 風は花びらをそっと運び、歩いて行く圭一の側を通り過ぎた。
「これは、コスモス。もうそんな時期になったんだな。……ん?」
 花びらに誘われて振り向くと、さきほどまでの場所には、香の他にもう一人いるのが見えた。その男は香を心から大事そうに抱き寄せ、彼女の存在を味わうように頬を寄せている。
「もしかして、あれが冴羽さん……」
 調査で持ち込まれた写真を思い出せば、シティーハンターその人と一致していた。
 忘れられない彼女と同じ瞳を持つ香に惹かれなかったといえば嘘になる。だが、自分の中にも忘れられない姿があるように、香を満たす何者かの姿があるとわかっていた。それがパートナーである撩だとわかったのは、香がバーで話してくれたときだ。
「あんな風に大切に抱きしめられるなんて。……香さん、よかった」
 自分の過去と違い、今の香を見ると応援したくなるし、逆に自分が励まされる気分になる。きっとそれは、香が圭一にこれからのヒントを与えてくれたからなのだろう。
「僕も出会えるといいな、今度こそ」
 圭一は、二人を見つめながらそう呟く。その目は遠く未来を見据え、力強いものだった。





 そっと吹いていた風も少しずつ強くなり、この季節の割には少しだけ涼しさを感じるようになってきた。帰ろうと歩き出した二人だったが、何か気付いたかのように撩が言った。
「香、そんな格好じゃ寒いだろ。……ほれ」
 撩がジャケットを開き、左半分を香に差し出す。そのまま肩を抱くようにして、グッと引き寄せる。今までもジャケットやコートを掛けられたことはあったが、このように二人で分け合ったことはまずない。今の自分たちがどこかこそばゆくて、香は「ありがとう」と言うよりも、違う言葉で誤魔化そうとしてしまう。
「もうっ、そんなことをしても騙されないんだからね」
 香の波長に、撩も合わせていく。
「騙すって、なにをだよ」
「散々ひどいことを言ったんだから、もっとちゃんとしたお詫びをしてもらわなきゃ」
「はあ!? なんだそりゃ」
 ここで香を窘める言葉を使っては、ここまでの流れが一気に変わってしまう。いや、無に帰すことになる。それだけは避けたい。
「じゃあ、なにがちゃんとしたお詫びなのか、言ってみろよ」
 いつもなら……、という香の思考は、すぐには変わらない。自然と悪口に構えてしまうも、やはり今回は違うらしい。
「ちゃんとしたお詫びって」
「おまえが言ったんだろ。ほれ、言ってみろって」
 そう言われてしまうと、すぐに思いつかないのが香だ。撩から言動を否定されてばかりだったから、撩と一緒にいたいという願いはわかっていても、日常のささやかな願いを撩に告げるのは慣れていない。「うーん」と考えていると、ふと、先日のテレビ番組が思い出された。
「そうしたらねぇ……。この前、テレビで特集やってたんだ。気になったのはね、お高いフレンチにラーメン」
 ある意味香らしい発言に、撩はプッと笑った。
「おまえね、その組み合わせはねぇだろ」
「だって、お腹が……」
 その瞬間、二人のお腹の虫がぎゅるるるっと鳴りだした。顔を見合わせ、聞かずにはいられない。
「香、食べてないのか」
「うん。なんだか、夕ご飯は食べる気がしなくて。……って、撩こそどうしたのよ」
「食べる機会を逸した」
 お互いの告白大会にしばし沈黙すると、今度は二人でドッと笑い出した。
「なにしてんだよ、おまえ。せっかくの機会だったのに」
「仕方ないじゃないっ、撩のいじわる!」
 撩のジャケットからは逃げないにしろ、両腕でお腹を隠しているところを見ると、香は相当空腹のようだ。
 今回の依頼はもちろん圭一から依頼料が入るにしても、改めて自分を選んでくれた香に何かをしてやりたい。撩はスイーパーとしての技術しか持っていないから、香が教えてくれた日常を豊かにするにはどうしたらいいのか、すぐには思いつかない。でも、ヒントは香がくれたはずだ。今、彼女が望むもの。せめて、こんな自分でも叶えられること。
「わぁったよ。こんな時間からフレンチは無理だが、そのラーメン屋ならどうだ?」
「えっ、行ってくれるの!? えっとね、まだやってる時間だわ」
「よーし、近くに車を止めてあるから、まずはそこまで行くぞ」
 香の肩に乗せていた手を腰に下ろし、腕で背中を押すようにして香を動かす。行くと決まれば早く食べたい香は、撩の動きに合わせて早歩きになった。
「やったね、かっぱ橋のラーメンが食べられるぅ。……わかってるよね、今日は撩のおごりよ」
「へいへい、仰せのままに」


 あんなにもやりとりできず、自分を苦しめていた声。それが今は心地良く耳に届き、香の中に温かく響いていく。
「最初に好きになったのは声、か……」
「んぁ? 何か言ったかぁ?」
 呟きの告白を聞かれたかもしれないと、香は途端に恥ずかしくなる。だから、素直になれずに誤魔化すことを選んだ。
「なんでもないってば。そんな歌詞があるだけよ。ほらっ、いこ!」





 名前を呼ばれる度、そこに込められた想いを今は感じ取ることができる。きっと香は、二度と撩の声を見失わないだろう。
 香が聞きたいのは、似た声ではない。撩の声、そのものなのだから。





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好き勝手に書き散らかしておりまする。書いたお話は、まるで千歳飴(どこ切っても同じ)。タニシのようにひっそりと生息中。

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