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Ambivalent and Vague

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Imaginary Companion

過去からの来訪者
なんとなく、2017年ハロウィン話


 
「これ、本当に預かるの?」
 幽霊に関係することがらに弱い香は、いつもよりも弱々しい声でそう言った。
「仕方ねぇだろ、渡すのは明日なんだから。それともなんだ、あのまま犯人に持たせときゃいいのか?」
「そうは言ってないけど……」
 香の眉毛がどんどんハの字になっていくのを見ると、撩としても何とかしないとまずいとは思う。しかし、依頼主に頼まれたものを放っておくわけにもいかない。
「わかった、今夜はずっと俺が持ってるから」
「でも、なにかあったら……」
「んなこと言ったって、おまえはイヤなんだろ? ほれ、さっさと寝ろよ。明日になりゃおさらばだ」
 会話する二人の前には、厳重に鍵をされた箱が置いてある。今回の依頼で、犯人から取り戻さなければならなかった代物だ。箱の中には杯が入っており、一見すれば何の変哲もない、ただのガラスでできた杯である。しかし、依頼人にとっては何よりも価値があるもので、家族の記憶だと言い切った。


「私の家族は、私を残して突然消えました。えぇ、火事で全てが消えたのです。しかし、この中にある杯だけは難を逃れました。家族の最後を見た杯を、私は手放すわけにはいかないのです」
 それに、と依頼人は続けた。
「小さい頃から、私は言い聞かされたものですよ。この杯を持っていれば、忘れ去った友人に会うことができる、とね。誰が出てくるかはわかりませんが、きっと会いたいと思っている友人に会うことができるのでしょう。そして、それは家族かもしれない。……私はね、それを信じたいんです」
 依頼人にとっては、金銭的な価値よりも重い何かが杯にはある。依頼人が言ったように、それは家族の記憶かもしれないし、幻でも家族に会えるかもしれないという希望かもしれない。心から望むものを取り戻したい、その気持ちに撩が応えないわけはなかった。


 とはいえ、この杯を持っていれば、何かが出現するかもしれない。そう思うと、香の心はざわついた。いや、早く夜が過ぎて欲しいと本気で思っている。杯の由来もそうだし、もたらすかもしれない事象もそうだ。香にとっては未知すぎて、うまく頭の中で消化しきれない。
「……なんか、怖いのよ、重すぎて……」
「重い?」
「なんだか、この中に込められたものが重いというか、深すぎて怖い。私に何かするわけじゃないのはわかるけど、とにかくなんだか怖いのよ」
 依頼人の気持ちを第一に考える香にしては、珍しい反応だ。どんな事情であっても、最後には香らしく受け止めて消化していたはずなのに、今回ばかりはうまくいかないらしい。
「ま、俺のとこに置くから、おまえは安心しろって。……ま、槇ちゃんあたりでも出てくりゃ、おまえの妹は相変わらず乱暴者です、ってチクってやる」
「ちょっとお!」
 香が思い切り頬を膨らませて怒り出した。
 そうそう、そうやって怖さなど忘れてしまえばいい。俺のことを怒って恐怖を忘れるのなら、いくらでも怒ればいい。
 撩は心でそう思いながら、なお口からは香の怒りを増長させる言葉がこぼれていた。





 香が部屋へ戻ったあと、撩は箱を手にして自分も部屋へ上がろうとした。
「……誰だ?」
 何かの気配を感じる。何か、いやそれは人間だ。だが、リビングを見回しても、そこには誰もいない。
「気のせいか……」
 ふぅ、と息を吐いて、撩は今度こそ自室へと足を向けた。
 部屋に入ると、珍しく眠気が撩を襲ってきた。もともとすることもないし、ウイスキーでも飲んで寝ようと思っていた撩にとっては、避けるほどでもない状態だ。このまま眠りについてしまえば、きっと次には朝になっているはずだ。
 そう考えるも、よくよく自分を感じてみれば、寝ようとしているのは体だけで、頭はどこか意識を残したままだ。
 ──これって、金縛りってやつかぁ?
 そんなに今日の自分は、体を酷使したのだろうか。そう思いながらも、残る意識は何かを感じている。
 ──だから、一体なんだってんだよ。
 そう思っていると、
「こんにちは」
とどこかから声が聞こえた。


 これが現実ではないことぐらい、撩にだってわかっている。アパートのセキュリティ、自分が感じ取っていた気配。それを考えれば、声が聞こえるはずはない。夢なのだろうと結論づけるも、残った意識は、なぜかこれが現実だと警鐘を鳴らしている。
 では、聞こえた声は、誰なのか。この少女の声は、一体どこから聞こえているというのか。
「こんにちは、あたしは目の前にいるよ」
 撩がスッと目を開けると、目の前には少女がいた。ちょこんと体育座りをしていて、撩をじっと見上げている。寝ていたはずの撩は、いつのまにか立っていた。
「こんにちは、冴羽撩さん」
 首をかしげながら話す姿は、誰かの面影が隠れている。それが誰なのかと思案しても、なぜか頭が霞がかって答えを捕らえられない。栗色の髪は肩の下まで伸び、風もないのにふわっとした動きだ。あたりはどこまでも漆黒で、しかし少女には弱めのスポットライトが当たっているかのように浮かび上がっていた。
 これは、おどけて対応する場面でもなさそうだ。他にどうしようもなく、撩は少女の横へ座ることにした。
「ありがとう」
「いんや。……これ、あの杯の効果ってやつかな。でも、俺はきみのような少女を知らないけれど」
 撩が正直に言うと、少女はニコリとして答えた。
「うん、あなたはあたしを知らない。でも、あたしのお友だちのことは知ってるわ」
「きみの友だちを、俺が?」
「うん。あなたは知ってる、とてもよく」
 言われたので思い返そうとするも、やはり今は思考が奪われたように頭に霞がかかる。
「あたしの話を聞いてほしいの。その、大事な友だちの話を」
「わかった、話を聞こう」
 少女は自分のことではなく、その友だちについて話しだした。


 彼女の友だちは、とてもイイ子にしていたのだという。イイ子にして我慢をし、いつでも笑顔を周りに見せていた。特に家族には悲しい顔は見せず、むしろ強い自分を作り出している毎日だ。しかし、同じように幼い友だちが想いを抱えきれるはずもなく、少女にはポツポツと話をしていた。
 本当は寂しい。
 友だちは、人の寂しさにとても敏感な子でもあった。その子なりの方法で人に寄り添い、力づけようとしていた、そんな日々。だが、人の心を埋めようとしていたその友だちこそ、本当は自分の寂しさを埋めて欲しかったのだ。
「健気で優しい子なの。本当にいろんなことを我慢して。だけど、その寂しさを決して家族の前では口にしないのよ、家族が悲しむのは嫌だからって」
 そうこうしているうちに、二人は離ればなれになった。それ以来、二度と会うことはないが、少女は友だちのその後を知っているという。
「中学ぐらいの頃かな、彼女にはショックなことがあって。だけど、そのときにあたしは一緒にいられなかったから、どうしようもなくて」
 友だちは何にショックを受けたのか、少女はそこまでは明かさない。けれど、どこかで聞いた出来事のような気がする、と撩は思い始めた。
「彼女はね、自分の居場所が欲しいの。この世でただひとつ、自分だけの場所。それが天国でも地獄でも、彼女にとってはかけがえのないものなの」
 撩の中で何かとリンクしようとすると、ズキッと頭に痛みが走る。霞にヒビを入れるような稲妻は、絶えず鳴り響いて撩を襲った。
「だからね」
 少女が言うと同時に、大きな稲妻がパシンと鳴った。それは撩に解答をもたらし、そしてこの時間の終わりを知らせるものだった。
「冴羽撩さん、あたしの大事な友だちのことをお願い。これを頼めるのは、あなただけなの……」
 残っていた意識が、暗闇に吸い込まれていく。ついに意識を失う瞬間、撩は何かを呟いた。





「もうっ、撩ったら」
 最初は撩の言葉に怒っていた香も、落ち着いて考えれば撩の意図がわかるものだ。面と向かってお礼をするのは今さらだから、明日の朝食を一品増やすことにしよう、そう思って献立を考えていると、なぜか睡魔が襲ってきた。
「仕方ないわね、今日は疲れちゃったから寝るかなぁ」
 香は睡魔に抗うことなく、そのままベッドへ入って体を休めることにした。この調子なら、数分後には眠りの世界に行けるだろう。
 ……時間が経っても、香の意識はそこにあった。いや、体は動かないから、眠ろうとしているのはわかるのだ。しかし、どうにも香の頭だけは眠ろうとしてくれなかったのだ。
 ──うっわぁ、これって金縛りってやつ? そうしたら、次はもう、そういうことよね。
 香の脳裏には、次に起こりそうなことがめまぐるしく展開される。もしも幽霊なるものが出てきたら、動けない自分は一体どうなってしまうのか。ここで誰か声なんて聞こえてきた日には、もう逃げようがない。
「こんにちは」
 ──いっやあああ!!! で、出たあああ!!! どうしてくれるのよ、もうイヤよぉ、どっか行ってよぉ!
 こうなってほしくないことが起こり、香は焦りを通り越して混乱していた。落ち着かせるという選択肢もなく、一人で慌てふためき、逃げようのない自分に絶望感を覚えてしまう。どうにかしようとして、香は目をギュッと閉じた。


 それから目を開けると、なぜか香はどこまでも白い空間に立っていた。周りを見渡しても、どこまでも白いそこに自分以外を見つけることはできなかった。
「こんにちは、ぼくはこっちにいるよ」
 再び声が聞こえる。声がしたのは、自分の後ろ側だ。振り返ってよく目をこらせば、遠くに黒い何かがポツリと見えた。あんなに金縛りかと思うほど動かなかった体は、今はもう自由に動くことができている。そのまま黒い何かに近づけば、それが少年だということに香は気がついた。髪はどこまでもカラスの羽のように黒く艶めき、目は底知れぬ何かを思わせるように黒く深い。
「やっと見つけてくれたんだね。ありがとう、槇村香さん」
「い、い、いいえ。どういたしまして。……ねぇ、ボクのお名前は?」
 不思議な体験にはかわりがなく、焦りを全て隠せないまま、香は少年と話し始めた。
「ボクの名前かぁ、友だちは知ってるかもね」
 友だちというキーワードで、やはり例の杯が関係しているのだと香も気がついた。
「ねぇ、ボクはあの杯の効果なのかしら。……一体、どういうこと?」
「あなたはボクを知らない。でも、ボクの友だちのことを知ってるんだよ」
「え、あたしが、あなたの友だちを知っているの?」
「そう。……せっかくだから、その友だちの話を聞いてみない? ううん、聞いて欲しいんだ」
 どういう存在かわからないのに、話を聞くようにと懇願されている。幽霊やオバケが嫌いな香にとって、この状況は非常にまずかった。話している途中で少年が正体を現し、何もかもを貪り尽くされるのではないか。そうは思っても、本来はお願いされれば応じたいと思うのが香だ。今回も無下に断ることはできなかった。
 その願いの通り、少年はその友だちについて話し出した。


 少年の友だちは、期せずしてその村に現れたという。少年がいる村に来た友だちを、その場にいた大人たちは驚いた顔で見つめていた。その中の一人、黒髪の男が友だちを抱き上げ、奥にある建物の中に連れて行った。それが最初の出逢いだ。
 年齢が近い二人はすぐ仲良くなり、友だちはたくさんのことを話してくれたという。気づけば森をさまよっていたこと、自分はここで生きていくしかないとわかっていること。どこか達観したような物言いの友だちに、少年は何とも言えぬ気持ちを持っていた。果たして本当の気持ちはそれなのか、叫びたい想いがあるなら言えばいいのに、それを聞くのが友だちなのに、それすら言おうとしない友だちに寂しさを覚えていた。
 そして、「ボクのお父さんは凄いんだ、ここで一番だからね」とことあるごとに言っていた友だちは、いつかその「父」のようになるのだとも言っていた。もちろん、少年の村で出会った二人だから本当の親子ではなかったけれど、それ以上に二人の繋がりは強かった。
「本当にそう思っていたところもあるんだろうけど、ここで生きていくしかない、お父さんはすごいって思い込むことで、今の自分でいいんだって言い聞かせていたんじゃないかと思うんだ」
 だから、あんなことが起こったのだと少年は思っている。「父」が友だちに何をしたのか、そしてどうして「父」と道を違えることになったのか。
 友だちがそうなっていた頃には、少年は村を離れ、別の場所へ移っていた。風の便りで耳にする状況はとても凄惨で厳しく、だからこそ少年は友だちと話がしたいと思った。しかし、友だちの前に現れることはもはやできないから、それも叶わない。
「自分が誰なのか、本当は何者なのかってわからないんだ。それを見つけたくて、必要以上に居場所や人に価値を見出そうとして、傷ついて。そして、願いを凍らせてしまった」
 少年は、細かいところまでは言わない。だから、誰のことを言っているのかはもちろんわからないが、香はどこかで聞いた話だと思い始めた。
「彼はね、自分がここにいるんだって、生きているんだって、その証拠が欲しかったんだと思うよ。だけど、なかなか見つからなかった」
 香の中で、少年の話が引っかかる。引っかかりは香の思考を詰まらせ、どんどんと考えられなくしていった。やがて浸食された体は、ゆっくりと現実感を失っていく。
「だからさ」
 少年が言うと同時に、一瞬だけ何かの像が浮かんだ。それがこの話の答えだと気づくと、香の世界はどんどん白くなる。
「槇村香さん、ボクの大事な友だちのことをお願い。これを頼めるのは、あなただけだから……」
 香の体はふわふわと漂い、世界は真っ白になった。ついに意識を失う瞬間、香は何かを呟いた。





 翌朝、香はいつも通りに起き、朝食を作り、撩の部屋へとやって来た。撩を起こすためだ。
「撩、起きて!」
 まだ寝ていると思った香は、大きな声で言いながら部屋へ入った。すると、いつもとは違って、撩はすでに起きている。ベッドの上であぐらを組み、何かを考えているように下を向いている。
「あら、先に起きてるなんて珍しい。朝ごはんできてるよ、食べよ」
 その言葉で視線を向けた撩は、「おう」と言ってゆっくりとベッドから降りた。そのまま二人でダイニングキッチンへ移動すると、向かい合わせで食べ始める。香が朝のテレビで仕入れたことを話し、それを聞いているのがいつもの光景だが、今朝に限っては違う。
 二人はそれぞれ、昨夜の出来事を覚えていた。撩は起きてすぐ、自分の部屋に置いてある箱を開けて杯を確かめたぐらいだ。中にあったのは、朝の光に煌めきを見せていた、何も変わりのない杯だけだった。だが、この杯のせいとしか思えない、撩はそう思っている。
 撩にしても香にしても、昨夜に聞いた話が一体誰を指すのか、もうわかっていた。ただ、どこまでが本当なのかがわからず、会話として出しにくいのも事実だ。撩にいたっては、あんなに杯を「重すぎて怖い」と言っていた香に「どうだった?」と聞くのは怖がらせるだけではないかと思うも、自分も不思議な体験をしたのだから、香もしたに違いない、なぜかその確信があった。


「そういや、昨日の夜さぁ……」
 香が体をビクンとさせる。やはり怖がらせるだけかと思った撩は、
「いや、なんでもねぇわ。じゃ、味噌汁お代わりな」
とお碗を差し出すと、香はそれを受け取りながら、
「うん、昨日の夜ね。……撩も?」
と言った。香が体をビクリとさせたのは、自分も話をしようかと思っていたタイミングで撩に話を振られたからだった。
 昨夜の不思議な体験。それを二人は覚えている限りで伝え合った。お互いが誰の「友だち」に会ったのか、今となっては明白だ。
「イマジナリー・コンパニオン、か」
「なぁに、それ?」
 香にとっては初めて聞いた言葉だ。
 人間は幼いころ、空想上の友だちを作り出す時期がある。珍しいことではなく、誰にでも起こりえることだ。嬉しいことも悲しいことも聞いてくれる、気づけば隣にいる友だち。幼年期は自分の中だけで気持ちを収めることができないけれど、成長と共に自分のキャパシティが大きくなれば、一人でたくさんのことを抱えられるようになり、やがて彼らは役目を終える。一時期を共に歩む友だち、それがイマジナリー・コンパニオンだ。
「もし俺のイマジナリー・コンパニオンがいたら、俺以上に俺のことを知ってるだろうよ」
「そうね、たくさん見て聞いているんだもんね。あたしも同じかな」
 杯は確かに「友人」を連れてきた。それは現実で喪った友人ではなかったが、自分たちをよく知る存在であり、本来ならば出会うはずのなかった存在だ。


 ふと、撩は思うことがある。自分が話した少女は、「香は、自分だけの居場所を欲しがっている」と言っていた。そして、それを叶えられるのは撩だけとも。しかし、香自身はその願いをどう受け止めているのか、さらにどう結論づけたのか、それを知りたい。
「友だちには、欲しいものがある、か。……香、欲しいものは手に入ったのか?」
 突然の質問に、香はどう答えたらいいのか戸惑ってしまった。正直に言えば、これはもう告白しろと迫られているようなものだ。お互いに大切だと思っているのはわかる。自分はまさしく愛情で、さて撩は? それだけ、愛という言葉は奥が深い。自分の想いを告白するにはどこか時期が早く、かといって、嘘はつきたくない。
「そうね、近くにはあるかな。撩は?」
 思いついた精一杯がこれだ。香が逆に質問すると、撩も戸惑ってしまう。奥多摩のように気分が高揚しているときならばともかくとして、日常生活の中で打ち明けるには重い話だ。
「さてね。でも、欲しくても手を伸ばしていいのかどうか、わからんな」
 撩はやや上を見ながら、ふぅと溜息をついた。
 果たして見つかったのかどうか、それすらもわからない答えだと思うも、香が内容から推察すれば、おのずと答えが導ける。見つけたらしいが、やはり迷っているらしい。それはこれまでの人生がそうさせているのだろうし、願いを叶えてくれる存在が見つかったのならば、撩にはそれを諦めてほしくはない。奥多摩の後でも何ら変わらない自分たちだから、香自身が選ばれる確証はないと思いながら、全てを諦めてきた撩の願いを叶えたいと思うのも本音だった。
「いいんじゃないの? 撩、実はいろいろ諦めてきたこと、多いでしょ? 何か一つくらいは手を伸ばしてもいいんじゃないかな」
「そうか……」
 淹れたてのコーヒーを渡すと、撩は手を伸ばして受け取った。カップを揺らして目を閉じ、立ち上る湯気から香りを楽しんでいる。話しかける様子でもないからと、香は次の家事へ取りかかることにした。
「じゃ、終わったカップはシンクへ置いておいてね。あたしは、洗濯してくるわ」
 答えをもらったわけではないけれど、いつもよりも少しだけ深い話ができたことが嬉しい。その気持ちが香の足取りを軽くする。軽快な足音のリズムは、撩の気持ちも軽くしていた。
 確かに、自分は香の質問に答えていない。とはいえ、嘘も言っていない。
 だが。
「おまえ、自分が何を言ったのか、わかってねぇよな……」
 多くのことを諦めてきた撩が望んだ「ただ一つ」、それが自分であると知ったら、香はどう反応するのだろう。想いが通じて嬉しいと思うのか、それとも望みの背後に蠢くドロドロと汚い何かを感じて逃げるのか。
「まだもう少し、このままでいいさ……」
 いつか答えは出さねばならない。そのときまで、まだ緩やかなときを楽しもう。撩はそう思った。





 ──だけどもう、彼女を逃がすつもりはないんでしょう?


 ──そしてもう、彼から離れるつもりはないんでしょう?


 幼い声が二つ、アパートのどこかで響いた。

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うーたん

Author:うーたん
好き勝手に書き散らかしておりまする。書いたお話は、まるで千歳飴(どこ切っても同じ)。タニシのようにひっそりと生息してたけど、只今休眠中。

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